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講演 「北陸新幹線新高岡駅まちづくりの考え方」
講師 京都大学大学院工学科助教授(工学博士)中川大氏
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| 講演する中川京大助教授 |
要旨
駅とまちづくりを一体としてやることは重要だが、歴史的にはそうされてこなかった。駅周辺で市街化調整区域が残るなどの問題は鉄道事業者、行政というセクションの違うところがばらばらにやっているからである。何十年たっても駅の周りは田んぼというのはそういったことからきている。本来は駅を造ればまちづくりをするのは当然である。そうすれば鉄道に乗る人も増える。
今日は3つの視点から論じてみたい。1、都市の活力とまちづくり 2、新幹線新駅とまちづくり 3、観光とまちづくり−である。
まず、都市の活力の問題だが、世界の都市政策の流れは変わり始めている。それは「まちのにぎわい、商業、観光」といった活力と、「環境・文化、個性」といった魅力をいかに大事にするかという方向性だ。そのために都心の再活性化、及び郊外部のコンパクト化が世界の傾向である。手段として公共交通の重視がある。ダルムシュタットやブレーメン(ドイツ)、ナントやトゥール(フランス)など、世界の街を見ると、都心部に歩行者の豊かな空間があるところがにぎわっている。ここが重要だ。
たとえば、イオン高岡の大勢のお客さんが集まるのは車で来ると便利だから、だけではない。中に入ると豊かな歩行者空間があるからだ。にぎわっているとは人が大勢いることであり、車がたくさんあることは混んでいるという。
フランスのミュールーズという街は電車の路線と結んだLRTを都心に乗り入れて先行的に公共交通を整備した。すると、都心に行きやすい便利な郊外に人は住むようになる。その結果、都心には郊外から人が集まるようになった。この発想が大事なのだ。
いま、全国の地方都市の中心部は駐車場だらけである。お客さんを郊外型店舗に取られるからと一等地にこまごまとたくさんの駐車場を造ったのだ。しかし、郊外の大型SCと同じ土俵で勝負しているから必ず負ける。たとえば1000台分の駐車場を整備するためには、多くの店を削らなくてはならない。これが電車だと一日の乗降客は数千人に上る。利便性を高めれば、はるかに多い人を集客することが出来るのだ。
次に新幹線新駅について。実はこれは大変難しい問題である。全国の新幹線新駅で成功している事例はないと答えざるを得ない。長野新幹線の佐久平駅が成功と言われるが、小杉駅のほうがにぎやかだ。
よくある失敗例を紹介する。まずは物産館。地元産品を売るのはいいのだが、行政による施設の場合が多く本気の商売ではないから人が来ない。同じ意味で公共施設もそうだ。駅に隣接してあるのが多いが、これも本気で集客する気はないからダメ。これらが駅前の一等地にあるのだから、なお寂れる。
観光案内所もそう。なぜかというと、観光客の一番知りたい情報は教えてくれない。一番おいしい店は?と聞いても、そんなことは教えない。だいたい、今の時代はネットで情報を仕入れてから来るケースも多い。さらにパークアンドライド(P&R)の駐車場もダメだ。これは東京へ行く人のための駐車場であり、田舎の新幹線駅が取る手法。高岡のような大きな駅が行う施策でない。むしろ公共交通で人を集めるのが都市政策だろう。もうひとつは、広い駅前広場だ。これは駅と街を遠ざけ、寂しさを増幅している。
新幹線新駅そのものでまちづくりが可能なのは、新横浜、新大阪クラスである。これらの駅も在来線、地下鉄などの併設により、地位を保っている。こうしたことから、その困難さが分かるだろう。
もし、成功するとすれば、新駅を公共交通ネットワークの中心にすることが不可欠だ。@城端線は最低でも30分間隔の運行が求められるA氷見線・万葉線の乗り入れは当然B周辺施設自体を集客力のあるものにする。
高岡は5方向から鉄軌道が乗り入れている結節点である。北陸線の金沢方向から、富山方向から。氷見から、城端から、そして万葉線の新湊から−である。こうした在来線の活力が出てくれば新幹線新駅にも人が集まるようにならうだろう。
さて、最後の観光とまちづくりである。基本的に高岡は大きな発展の可能性のある街だ。観光資源とは与えられるものではなく、育てるものである。そして、歴史的、自然的価値の高いものと観光で人を呼べるものとは同じではない。京都でも文化的価値が高いお寺に人が少なく、そうでないお寺に観光客が集まる。
地域の素材を磨くという意味で、たとえば、新湊の内川などは漁船やボートが係留されて独特の景観をなしており、地元の人は昔からの風景で慣れていて気付かないが、観光資源としては一級品だ。ポテンシャルは高く小樽の運河に引けを取らない。その意味で、とやまの美しい田園風景なども価値がある。
まとめると、本物をじっくり見せても地域産業にはならないし、偽物に人は来ない。満足できる水準のサービスを全体で提供できる。観光は提供する側と楽しむ側のゲーム、かけひき、あうんの協働である。
ブランド化は地場産品を地域外で売るための戦略だが、「高岡といえば○○」といったイメージの普及がほしい。○○は平凡なものでもかまわない。
観光は数ではない。たくさんの人が来ても潤うとは限らない。地元に利益をもたらす観光は「回遊」と「まち歩き」である。逆に観光は数である。増えているところに、人が集まる。増えていることをPRする必要がある。観光の動機のほとんどは「みんながいいと言っているから」である。だから、減り始めると、さらに減る。
回遊性には階層がある。大きな回遊と小さな回遊だ。ヨーロッパの人にとって、日本人の観光客がベルリンからパリ、ロンドンに飛ぶのは信じられない旅行であり、大きな回遊だ。この視点で階層別に分けると「東京・立山・五箇山・京都」「金沢・能登・高岡・五箇山」「万葉線・渡し舟・ライトレール」「市内回遊」となるだろう。
これらのことで重要なのは、周辺を育てることである。新幹線新駅に降り立って、安心して各地に移動できる。そんなネットワークを組む必要がある。
質疑
――京都のお寺の話があったが具体的に教えてほしい。
中川 金閣寺は昭和の建物だが、人がたくさん来る。学問的な価値ではない。人が行くから行く。それなりに魅力的。これが価値基準だ。
――路面電車が3線あって、鉄軌道の王国だ。これをまち歩きとどう連結させるべきか。
中川 面白鉄道がたくさんあるから鉄道ファンは集まるだろうが、一般の人たちも満足できると思う。乗り物だけでなく、点在する魅力的な場所に行ける公共交通の仕組みが必要。万葉線−フェリー−新湊コミュニティバスを使い、さらに蓮町までの交通機関があればライトレールに結びつき、回遊性が生まれる。
――現駅と新駅の間は1.5キロあるが、ここに動く歩道を取り付けてはどうかという構想があるが、これをどう評価するか。
中川 それは面白いアイデアだ。十分検討したほうがいい。
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